


先週の話です。
(また時間が経ってからの日記で申し訳ないです)
東京都現代美術館の名和晃平展、長野まで足を伸ばして諏訪市美術館の諏訪敦展など、先週、広島に帰る前にいくつも展示を見たのですが、
練馬区立美術館の磯江毅展にも行って、(諏訪さんのも合わせてチケットを下さったKさん、ありがとうございました)
磯江先生の事などをいろいろと思い出したので… 僕の個人的な記憶ですが、書きます。
2003年の秋、広島の大学院を受験する少し前に、現代写実絵画研究所の研究会に行き、ここで自分にとって貴重な経験や出会いがあったのですが、磯江さんに初めてお会いしたのもこの時でした。
その後、僕が大学院の2年になった年から、野田弘志先生の後任で教授として赴任して来られました。
厳しく熱い先生でした。
正直、磯江さんの考えや仰られる事の中には、当時の自分なりに少し反発を感じるような事も無くは無かったのですが、それも本気で絵を追求して来られた磯江さんだからこその厳しい妥協のない教えだったのでしょう。
絵についての真剣な話からフランクな話まで、関西弁と独特の身振りで熱く語る磯江さんの姿が忘れられません。
大学院を出た後も時々お会いしたり、スペインに留学したY君と3人で食事を御一緒させてもらった事もありましたが、
最後にお会いしたのは亡くなられる2か月ほど前、2007年の『存在の美学』展の広島展でのレセプションが終わった後、先輩のMさん宅での二次会に混じって僕も行った時でした。
酒の席でしたが、石黒さん・諏訪さん・水野さん達と磯江さんがテーブルを囲んで真剣な芸術論議をされていて、強く印象に残っています。
9月の下旬、たまたま用事があって大学に行って、M先生から磯江さんの訃報を聞いた時、最初は信じられず、実感が湧きませんでした。
その頃、容態が悪くなられている事は少し耳にしていましたが、あのパワフルな磯江さんが急に亡くなられるとは…
それから1か月ほど経って、M先生と、院で同期だったS君と一緒に、横川駅の近くにあった磯江さんの広島での住まいへ、後片づけの手伝いに行ったのですが、
その日、神戸から来られていた磯江さんの奥様の姿、荷物を運びこんだ大学の磯江さんの研究室、その中に残っていた制作途中の作品や 使っておられた道具などを目にして…
磯江さんがいなくなられた事をようやく実感しました。
…冷静に考えてみると、それからもう4年近く経っていますが、ついこの前の事のようにも感じます。
ほんの数年間でしたが、磯江さんと接して教わる事が出来て、貴重な経験でした。
自分も頑張って行きたいと思います。
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- 2011/08/13(土) 23:35:16|
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